あまり理解されないが、出不精。

会合は苦手。

パーティーの企画も運営も大得意だが

自分がなにかに参加することは少ない。

ママ友というのも特になかったので

お友達とランチというのもない。

そんな私が、最近、極々まれに出かけた先々で、

バタバタと会いたかった人や、

懐かしい人たちにたてつづけに会った。

ありえない。偶然としてはこわいほどの確率。

非科学的で恥ずかしいが引き寄せたり、

引き寄せられたようにさえ思う。

同じように、このトンネルは抜けないのではないか、

この夜は明けないのではないかと思うことにも

ある日突然、陽がさす。

必要な時間、というのが何にでもある。

必然ということはきっとある。

撒かない種は絶対に生えない。

とはいえ

撒いた種は必ず生えるとは限らない。

生えた種が育つとも限らないが、

育つべき種はしっかり育つ。

 

当たり前のことが急に見えてきた。

 

 

初めて訪ねた写真のsabitaは、

これからひっそり隠れ家にしようと思っていたら、

ご挨拶されたオーナーは30年前のお知り合いだった。

そのときの種が今頃芽をだすのか。

長い休眠には必ず意味がある。

農学部出身の私にはよくわかる。

トシをとるということは実にすばらしい。

それが分からず、生意気なことを言い、

老体を「劣化」とはやし立て、

大人の意見を「老害」とひとくくりにする若者たちがいるとしたら、なんと気の毒なことか。

 

老いた先輩から学ぶが勝ちーそう思う若者がいるなら

必死に応援しようと思う。